インクルーシブな学校

インクルーシブな方向性を目指して特別支援学級を取り組むならば、原学級保障である。特別支援学級に在籍する子供は、できるだけ交流学級である原学級にいくようにする。また、それと同時に、通常学級に在籍で支援を必要とする子供には、特別支援学級の弾力的運用をすすめる。弾力的運用とは、校内通級として、ニーズに合わせた個別の学習を特別支援学級の教室で特別支援学級の教師が行う。一時的に取り出し指導を実施できることで特別支援学級への転籍を回避できるようにする。ちょっと手がかかるというだけで安易に特別支援学級に転籍させられる場合が少なくない。それを解決し、通常学級籍を続けるための手立てとしてすすめていきたい。

対話的学び

多様な子供達が共に学ぶ教室では、子供同士の学び合いや教え合いによって授業を作り上げる。学習が得意な子供は、分からないと困っている子供に、いろんな方法で理解を促そうと努める中で自分の学びを深める。学習が苦手な子供は、いろんな子供の説明や工夫を受け止めて自分なりの理解に到達できる。どんな子供にとっても、有意義で楽しい学習を実現できる。また、できるだけ違いの大きな子供達の集まりの方が、すべての子供達にとって豊かな学びを達成できることになる。子供同士の学び合いや教え合いは、教師も共に学ぶことが多く、わくわくする授業になる。

インクルーシブな学校

インクルーシブな方向性を持つ学校では、職員室もインクルーシブになる。多様性を受け止める価値観は職員同士でも共有できるので、お互いを支え合う風土が広がる。若い先生の未熟さを責めるようなベクトルは絶対に生まれない。若い先生も伸び伸びと子供に向き合えることが、どれほど学校にとって大きな力になるか。お母さんのような人、祖父母のような人、お兄さんのような人、いろんな先生がそれぞれの役割を果たしてすべての子供達に関わっていくことが間違いなく、子供達の安心感を高めて居心地のよい学校につながる。そうなれば、不登校など出るはずがない。教職員の雰囲気は、子供達が敏感に感じ取ることを忘れてはいけない。

インクルーシブな学校

特別支援教育が始まり、新たな障害者として発達障害が公認?されるようになると、ちょっと違うと教師から見える子供達が特別支援教育の対象となって通常学級から排除される方向性が生まれた。特別支援教育が始まるまでは当たり前に通常学級で共に過ごせた子供達が発達障害という概念の誕生によって全く異なる対応になるというのは教師の根っこにある優生思想の表れに他ならない。特別支援学級があるから、その対象になりそうな子供達を見つける働きが起こりやすいことも、同じく優生思想である。教師ほど、人権感覚に乏しく差別的な考えの強い人が多い職業はないとよく思う。

インクルーシブな学校

いじめを原因とする自殺があとを絶たない。これは、学校という特殊な組織の体質を変えない限り永久に起こり得ると30年以上学校に勤めてきての実感である。教師という職業の特殊性も関係している。例えば、学校に行きたくないという子供がいた時に、ほとんどの教師はその子供の個別の問題と捉える。あるいは、保護者を含めた家庭の問題と捉える。とにかく、いろんな問題が起きた時に、教師自身が改める考えを持つ、学校が総力を挙げて改善に取り組むというリスクマネジメントとしては当たり前のことができない。いつもその場シノギで収束すると楽天的に考える。子供のツラさやしんどさを一刻も早くナントカしたいと真正面から向き合う教師は残念ながらごくわずかである。こんなヒドイ学校の体質を変えるためにはインクルーシブな方向性を持つしかない。ぜひ、まともな学校を少しづつ広げていきたい。

インクルーシブな学校

インクルーシブな方向性を持つ学校では不登校はいない。なぜなら、子供達の違いを認めようとするからである。一人ひとりの違いを見つけ、そこから取り組みを始めるから、真に一人ひとりを大切にする学校となる。そして、子供達の安心感が高まる。どんな子供でも受け止める姿勢は間違いなく子供達に伝わり、子供同士でも認め合い、支え合う風土が広がる。こうなると、いじめもなくなるはずである。子供達にとって、どんな学校がいいかである。教師にとってやりやすい学校ではない。

インクルーシブな学校

特別支援教育が始まり、特別支援教育の対象となる子供が増え続けている原因は、間違いなく教師による排除である。ちょっと変わっている、ちょっと時間がかかる、乱暴な、マイペースなど、15年前までは通常学級の中で当たり前に受け止めていた子供達を新たな障害者として色眼鏡で見るようになった。専門家にかかるというまやかしの言葉で保護者を誘導して医療機関に送り込み、診断名を付けたり、薬づけにしたりして通常学級から排除している。では、通常学級に相応しい子供はどんな子供なのか?少なくとも、地域の公立の学校である。どんな子供でも通えるはずなのではないか?今のように、ちょっとしたことで排除の作用が起きれば、次々に排除し続けなければならなくなる。そして、通常学級に残るのは一体どんな子供なのか?そんな恐ろしい学校に通いたいと思う子供がいるだろうか?通わせたいと思う親がいるだろうか?