医療的ケア 学校

どんな子供でも、まず教師は信頼関係を築くことに努めなければいけない。子供は信頼する大人の言うことしか聞かないからである。医療的ケアを必要とする子供と信頼関係を築くためには、医療的ケアを横に置いて信頼関係を築くことはあり得ない。子供の思いを大切に考えなければいけない。これは医師法に抵触するから、医療行為はしない、教師の仕事ではない、など、子供はそんなことを言う大人を信頼するだろうか?安心して学校生活を過ごせるだろうか?そんな教師の指導を受け止めるだろうか?責任問題はそれとして、管理職や教育委員会で教師個人の責任が問われないように工夫すれば解決できる。医療的ケアを含めてひとりの子供として関わっていくことである。

医療的ケア 学校

医療的ケアを必要とする子供が地域の学校に通うためには、今だに保護者の大きな負担による。文科省の検討会議で小中学校でも子供の個別に応じて学びを保障する方向性が示されても、看護師配置の予算措置が拡充されても、学校現場で理解が進まないのは教職員の偏見にある。医療的ケアを必要とする子供は特別支援学校に通うべきだという無知の偏見であり、医療的ケアを必要とする子供は学習なんかしなくていい、命に関わる問題は小中学校の範疇ではない、という考えである。我が子や孫が医療的ケアを必要とする子供であっても同じ考えでいられるか?やはり、医療的ケアを必要とする子供のことを知らない勉強不足の教職員の偏見である。教職員は、まず目の前の一人ひとりの子供と向き合うことからスタートしなければいけない。医療的ケアと言っても様々である。何より本当に命に不安のある子供を地域の学校に通わせようと思う親はいない。我が子を見て、地域の学校で子供同士の中で育てるべきだと思うからこそ、小中学校の選択をする。もっと親の願いに寄り添わなければいけない。何より医療的ケアを必要とする子供のことを一番わかっている専門家は親である。

インクルーシブな学校

発達障害など多様な子供達がいると、学校は何よりもまず、加配など人手を要求する。学級担任一人では手が回らないと簡単に結論付ける。教職員の力不足だと思わず、仕方がないと当たり前のように考える。大きな間違いである。アメリカのインクルーシブ教育実践校では、多様な子供達は多い方がよい、多様な子供達がいる方が学びが豊かになると考える。なぜなら、子供同士の学び合いが刺激的で活発になるからである。日本のように、担任教師一人がすべての子供を指導する、教師の指導で学ばせるという発想はない。また、子供を対等の存在として尊重し、子供も教師も共に学ぶことでお互いを高め合う方向性も日本とは大きく異なる。

インクルーシブな学校

特別支援学級のインクルーシブな取り組みは、原学級保障である。必要な学習の時だけ特別支援学級を利用する。もちろん、ランドセルは通常学級に置き、給食も通常学級でみんなと食べる。通常学級を原則としてすべての学校生活を過ごす。また、特別支援学級の弾力的運用を行い、通常学級籍の子供でも必要に応じて、特別支援学級を利用できるようにする。そうすれば、わざわざ転籍しなくても必要な個別支援が受けられる。期間も1週間や1ヶ月だけの個別支援も可能となる。このように、今の制度でもインクルーシブな取り組みはいくらでもできる。大切なことは子供にとってどうするべきか!である。

インクルーシブな学校

特別支援学校の過大化の原因は通常学校のしんどさにある。非常に狭い価値観しか持ち合わせない通常学校では多様な子供達は安心して通えない。そこで必要なことは、通常学校が変わることである。特別支援学校の教授法や授業内容、支援の方法を地域の通常学校に広げることが、特別支援学校におけるインクルーシブの取り組みになる。特別支援学校でできることが通常学校で行なわれれば、地域の通常学校を選ぶ子供が増えるし、特別支援学校の過大化も解消できるはずである。特別支援学校の専門家といわれる教師がもっと地域の通常学校に行って、支援のあり方や授業改善をすすめるべきである。それが地域のインクルーシブや共生社会につながる。

インクルーシブな学校

特別支援学校や特別支援学級におけるインクルーシブな取り組みは、学籍一元化である。すでに分けられた特別支援学校や特別支援学級では、通常の学級や学校に転籍できないかを毎年検討することである。あくまでも原籍は地域の通常学級であるという考えをすべての子供達にあてはめていく。なぜなら、通常の教育課程では難しいという理由で専門的と言われる特別支援学校や特別支援学級で一時的に学ぶわけであって、例えば、小学一年から高校三年まで12年間、結局、特別支援学校で専門的な指導を受けて通常の学級に戻れなかったというのはやっぱりおかしい。そんな特別な指導なら、始めから受けないで子供同士の中でたくさんの刺激やつながりを広げた方が貴重な学齢期を無駄にしなくてよい。

インクルーシブな学校

今、日本の学校が抱える問題を解決するためには、インクルーシブな学校を目指す取り組みが大切です。いじめ、不登校、貧困、外国につながる子供、支援を要する家庭など、まさに多様な課題に向き合うべき学校では、多様性という違いを受け止める方向性が必要です。しかし、残念ながら、多くの学校では、その違いを、障害の特性や親の考え、家庭状況の責任に転嫁して排除する方向性が働きがちです。そうなると、問題は解決するどころか、後回しにされたり、福祉あるいは警察の対応にたらい回しにされたりすることになります。そんなことでは子供達の未来は真っ暗です。だからこそ、どんな子供でも受け止める大風呂敷のようなインクルーシブな学校を目指していく取り組みを広げていきたい。